「ニュージーランドにみる〝女性性〟とサステナビリティ」四角大輔 連載04

Way of living Women's life Organic Lifestyle
2019.11.07

1

「男」のぼくが「女性性」を語るわけ。

いきなり恥ずかしい告白で恐縮だが、今、ぼくにはどうしても会いたい、震えるほど恋い焦がれる女性がいる。

 

それは、テイラー・スイフトでも、アンジェリーナ・ジョリーでもなく(笑)、一国の女性首相。

 

なぜ彼女に心酔してしまっているか、この連載Vol.4を読み進めていただけたら、その理由は伝わるだろう。そして、彼女が率いるその国の「特殊なあり方」を通して、目指すべきサステナブルな社会について思いを馳せてみたい。

 

さて、今回のテーマは「女性性」である。

「なぜ男のあなたが??」という疑問の声が聞こえてきそうだ。

 

過去の連載記事から、ぼくが幼少期から自然を愛し、山奥を目指すアドベンチャーに多くの時間を費やしてきたことは伝わったことだろう。そして、この10年はアウトドアアスリートとして活動するだけでなく、原生林に囲まれた湖のほとりで自給自足ライフを送っている。

 

長年、大地をリスペクトしながら生きてきたぼくにとってのライフテーマは「環境保全」。ティーンエイジャーになってから今日までずっと、これを信念にして生きてきた。これについては、誰も反論はないかと思う。

 

そんなぼくにとって、もう1つのライフテーマこそが、「女性の地位向上」なのである。実はこのルーツも、自然保護思想と同じくらい古い。

 

 

戦中生まれの父は頑強な肉体を授かり、日本を復興させるべく、家庭をかえりみない企業戦士となる。方や、母は体が弱くてナチュラリスト、子育てと家族を最優先する専業主婦。

 

母への父の厳しい言動を見て育ったぼくは、周りの大人の男性の尊大な態度に、強い違和感をおぼえていた。そして、当時まだ男尊女卑カルチャーが色濃く残る日本社会に、不快感さえも抱くように。

 

ご存知の通り、その時代の日本は、自然よりも産業優先、人の健康や家庭よりも経済優先、エシカル思考よりも利潤優先。有機農家さんや環境活動家、自然志向の市民はマイノリティ扱いされていた。

 

「経済成長」と「産業拡大」という大目標を掲げ、国全体がブルドーザーのごとく、人間らしい暮らし、古き良き伝統、そして環境を破壊しながら暴走する。その時代に生きるぼくにとって、大人たちの異常なまでの猪突猛進ぶりは恐怖だった。

 

もし自分がそれに立ち向かおうならば、変わり者とみなされ、村八分扱いされるのではと、ひとり何も言えず静かに怯えていたことを今でも思い出す。実際に当時、「経済戦争」という恐ろしい言葉が飛び交っていた。

 

 

当然、オーガニック、サステナブル、フェアトレードという概念を語る者もほとんどいない。

 

いつの間にか、農薬と化学肥料を使う手法が「慣行農法」と呼ばれ、大量生産・大量消費型の「持続不可能」なライフスタイルが日常となり、人件費の安い途上国からの搾取で成り立つ「不公平な国際貿易」があたり前となってしまっていた。

 

そんな社会を横目に見ながら、密かに気付いていたことがある。

日本に限らず世界中どこでも、他者や生き物、自然を傷めつけ、戦争を起こすのはいつも男性であることを。

 

当時は、ぼくのリテラシーの低さから、昔ながらのジェンダー論的にそう思い込んでいたが、後に、セクシュアリティとはそんなに簡単に割り切れないことを知るようになる。

 

 

「男と女」は長い間、「外見だけ」で分けられてきた。それは、肉体的、容姿的な見た目のこと。だがもはや、そんな短絡的な分類法は時代遅れになっている。

 

単なる「魂の器」にすぎない肉体の構造がたまたま男性だとしても、「魂の本質」である中身が女性的であったり、その逆もあったり。もっと複雑なケースも多数あることは、もはや説明不要だろう。いや、多数どころか、そういった人たちの方が多く存在すると言ってもいいのかもしれない。

 

欧米では、より多様なジェンダー・アイデンティティを表す言葉として「LGBTQIA+」が使われるようになってきている。いわゆる「LGBT」にあてはまらない人も当然たくさんいて、「Q=クエスチョニングやクィア、I=インターセックス、A=エイセクシャル」がそういった性を説明するとされる。

 

それぞれの文字の説明は割愛するけれど、「LGBTQIA」のどれにも当てはまらない人がもっといることから、最後の「+」は、より多様な性の存在を意味しているという。

 

 

2

肉体、自認、指向を超越した「性」の存在。

性的マイノリティたちが象徴的に使うレインボーフラッグは、性自認の多様性を意味しているが、フラッグを構成する6色ではもはや足りないと言っていいかもしれない(虹は7色だが、このフラッグは6色で構成されている)。

 

「0と1」だけで構成される味気ないデジタルワールドに対して、リアルな世界が美しいのは、目を見張るほどカラフルだからであり、ジェンダーやセクシュアリティにおいても、無限のグラデーションが存在するということをぼくは伝えたいので ある。

 

そして、「肉体的な性」「自認としての性」「指向としての性」を超越した「性」も存在することをご存知だろうか。それは心理的、もしくは思考癖においての「性」と言っていいだろう。

 

さあ、ここからがぼくなりのジェンダー論の本題である。とても難しいテーマなので、誤解なく伝わるか自信がないが、勇気を持って続けてみたい。


 

ぼくのことを例に説明してみよう。

肉体的にも、性自認も男性。性的指向は異性のみ。では「中身」はどうか。

 

ぼくは友人から「女子力が高い」「女々しい」「中身は乙女」と笑われることが多く、自分でもそれを自覚している。使わないのに、女性向けのアクセサリーを見るのが好き。男がこだわりがちな「勝ち負け」や「競争」には興味なし。子どもを産んでみたいとまで思ったこともあった。

 

しかし、女性からはいつも「女心がわからなさすぎ」と言われ( 汗)。柔軟性のないガチガチな「男性思考」に縛られたり、 世の中の不正にすぐカッとしてしまったり。 どうしようもなく男だな…と嫌になることも多々ある。

 

ぼくの中に、「男性性(だんせいせい)」と「女性性(じょせいせい/にょしょうせい)」の両方が存在し、どうも一般男性より「女性性」が強いようなのだ。きっとぼくは、「LGBTQIA+」の、「+」に入るかもしれない。

 

昔は、このことを認めたくなくて、「もっと男らしくなりたい」「◯◯みたいな男になりたい」と自分に言い聞かせていた。そんな自分が嫌で、自己否定することも多々あり、思春期のストレスは激しかった。

 

学校でも会社でも、いわゆる「男社会」に入って行けず、 すぐに勝負を挑んでくるような「男っぽい人=男性性の強い人」 が苦手で、心を許せるのは「女性性の強い人」だけ。

 

 

さて、あなたはどうだろうか。

 

「私は完全な女性だ」「俺は完全な男性だ」と言い切れる人ってどれくらいいるのだろうか?おそらく、「ゼロ」である。誰もが「男性性/女性性」の両方を持ち、そのバランスの絶妙な違いが、その人の個性を生み出しているとぼくは考えている。

 

誤解を恐れず言うならば、「LGBTQIA」のどれにも属さない人たち全員が、「+」に分類されるというのが、今のぼくの意見。つまり、人類におけるマジョリティといったものは幻想で、地球上に存在する者すべてが、マイノリティということになる。

 

今や全人口は70億を超えたが、誰ひとりと同じ人間はいない(当然!)。同じ境遇で育った一卵性双生児だって、違う心と思考をもって、まったく別の人生を歩む。ある友はこう言った、「ひとりひとりが、1つの種族にすぎない」と。

 

人種、宗教、国籍、見た目、そして性別による分断はもはや無意味で、地球は「70億種類の珍しい種族たちが生息している星」なのである。ぼくが長年使ってきた言葉で書くならば、「70億人のアーティストそれぞれが、独自の表現活動をしている星」となるだろう。

 

 

3

行き過ぎた「男性性」がもたらしたもの。

話を戻そう。

そして、乱暴な言い方になって恐縮だが、ぼくの持論は以下だ。

 

「男性性」は略奪と破壊と支配の快楽を、「女性性」は調和と対話と共生の喜びを求める。「強くて速い」は男性性のキーワードで、「優しくてゆっくり」が女性性のキーワードだ。男性性は「競争や成長」を、女性性は「平和と平穏」を好む。

 

世界史を見ると、何故か人類はかたくなに「男性性優位」の社会システムを構築し続け(一部の古代文明や先住民族を除いて)、その結果、どうしようもないほどに行き詰まり、理不尽極まりない現代文明をもたらした。

 

行き過ぎた「男性性」が引き起こした、紛争、貧困、汚染、差別、そして気候危機といった解決の糸口が見えない諸問題を、「男性性」をもって解決できる可能性は限りなく低いだろう。ぼくは、人類が直面しているこれらの大きな課題を解決できるのは「女性性優位の社会システム」であると信じている。

 

そういった社会の代表格がニュージーランドなのである。

 

 

昨今この国が急に注目されて、「理想の国」と称されることが増えているが、当然まだ完璧にはほど遠く、国として試行錯誤の道半ばであることを、10年ここに暮らす者として最初にその点を断っておきたい。

 

それでも、「未来の国」と言われるほど、この国はイノベーティブな社会実験に挑戦し続けている。それらの多くを牽引しているのが「女性性」であることを知っていただきたいのだ。

 

まず歴史を紐解くと、今から120年も前に女性の参政権を認めている。これは世界初のことであり、あの有名な英国の女性公民権運動の勝利よりも20年も前の出来事。今では、国会議員の4割が女性で、これまで3名の女性首相を輩出している。

 

女性の政治参加への意識が高いことが起因して、投票率は8割と非常に高い。さらに、「汚職の少なさ」1位、「政治的安定度」3位、「民主主義指数」4位、「法が機能している」7位、「政治透明度」8位といったように、政治の健全度を示す世界ランキングの上位には常に名を連ねる。

 

そして当然、女性の社会進出も進んでいて、2018年の「ジェンダー・ギャップ指数※」は世界7位で(日本は110位)、「男女の賃金格差の少なさ」も2位と高く、管理職に女性を起用する企業の割合は半分以上となっている。

 

 

ちなみに、家事の分担が常識となっており、いくら社会的地位が高い男性でも、家のことや子育てにコミットしていないことが判明すると、バッシングに合うほどだ。

 

女性は遠慮なく堂々と意見を述べるし、議論で男性が負かされることは日常茶飯事。引き下がらない女性が多くいることから、「男性より女性の方が強い国」といつも揶揄されるが、ぼくにすれば「これでやっと対等くらい」という感じである。

 

そもそも現代において「女性が強い」と言われる時、「男が上で女が下」といった、中世から変わらぬ古い価値観が前提となっている。女性がマイノリティ呼ばわりされるたびに、不思議な気持ちになっていた。なぜなら、これまでも今も、人類の約半数が女性なわけで、彼女たちが「少数派」であったことなんで一度もないのだから。


 

※ニュージーランドのランキング最新情報はこちらから

4

ニュージーランドは女性がつくった王国?

気付かれた方も多いと思うが、この国の女性の社会的地位を支えているのは、言うまでもなく男性である。ニュージーランドのあり方を示す重要なキーワードに「共生」がある。この移民の国には、200の民族と160の言語が存在する。それに伴い、多種多様な宗教が共存している。

 

男性は女性に、驚くほどの敬意と思いやりを持って接していて、人種や宗教だけでなく、性別においても共生を目指していると言えるだろう。そして、その哲学はマイノリティや社会的弱者への配慮にも表れている。

 

多くの国に先駆けて同性婚を法的に認め、英語だけでなく先住民のマオリ語を早い段階で公用語に制定した。さらに世界初で、手話も公用語としたのである。

 

街や建物の造りはバリアフリーが基本で、老人と子どもに優しい法律やシステムがあるだけでなく、明かに社会風潮としても存在する。飲食店に入ると、メニューの前に子どもの塗り絵セットが準備され、友人夫婦が脚の悪い祖母を連れてこの国を旅した時、「ばあばがいると、どこででも優遇されて楽だった」と言っていた。

 

 

さらに、「労働者の最低賃金」と「8時間労働」、そして「年金制度」を世界で最初に導入した国でもある。企業よりも、労働者や高齢者という弱者優先なのである。そして、いろんなランキングにおいても、この国の包容力の高さを見ることができる。

 

「教育に適した環境」1位、「教育に対する支出」1位、「未来に向けた教育」1位、「退職後の住みやすさ」1位、「ひとり旅に最適な国」1位、「フレンドリーな国」5位、そして「母親への優しさ」6位など。

 

さらに特筆すべきは、「必要なときには友人が助けてくれると信じている」と答えた人の割合は100%近くと驚くほど高く、これも堂々と世界1位であった。

 

 

寛容でしなやかな「女性性」がもたらした、もっとも大きな宝は、平和と豊かな自然環境であろう。

 

まず、今から30年以上も前の1987年、世界でもっとも厳しいと言われる「非核法」を制定。それまでも自身で核を保有することはなかったが、それ以降は、ニュージーランド領海内での他国による核廃棄も禁止しただけでなく、どんなに圧力をかけられても、アメリカの核搭載船や原子力潜水艦の領海内への侵入をも許さなかった。

 

2017年に国連で「核兵器禁止条約」が採択された際には、最初に調印をしている。調印を拒否した日本とは対照的であった。

 

そもそも、ニュージーランドには「国防軍」しかなく、長距離ミサイル、攻撃型空母、戦車、戦闘機、潜水艦を持っていない。その規模も非常に小さく、直近の軍事費は先進国でも最下位クラス。

 

そこで浮いた国家予算を、国民の福祉に回していて、初診料以降の全医療費、出産にかかるすべて、大学までの教育費が無料となっている。また、年金と失業保険が手厚いことで有名だ。

 

 

厳格な非核法により原発はゼロで、再生可能エネルギーが占める割合は83%。化石燃料による発電所の新設は認可されなくなっていて、過去10年に新設されたのは主に地熱発電所で、他は風力と太陽光発電のみであった。

 

政府としては、再生可能エネルギーの割合を、2025年までに90%、2035年には100%を目指している。

 

そういった試みの結果が、次のランキングに表れているのではないだろうか。

「平和度指数」2位、「空気の綺麗さ」2位、「幸福度」8位。

 

5

求む、女性優位の社会システム。

そんなニュージーランドに彗星のごとく現れたのが、ジャシンダ・ アーダーンだ。彼女は、この国史上3人目の女性首相であり、 世界でもっとも若い女性の首脳となった。そう、この人こそが、 ぼくが今もっとも会いたい女性である。

 

2017年、37歳 で首相に就任するや否や、妊娠を発表。それと同時に「産休」の取得を宣言。しかもそのお相手は、有名なイケメンのTVキャスターで「事実婚の彼氏」だった(後に入籍)。

 

この国では事実婚も法律婚も、まったく同じ扱いなので何のバッシングもなし。とは言え、さすがに産休宣言には誰もが驚いたが、その直後の世論調査で支持率が4%上昇したことが、この国らしいところである。

 

なお、国のトップが在任中に妊娠したのはアーダーン首相が世界で2人目で、在任中に産休を取った首脳は彼女が史上初であった。彼女のパートナーは「専業主夫」になると発表したが、これもニュージーランドでは決して特別なことではない。

 

産休から戻ったアーダーン首相は、赤ちゃんを連れて国連に出席。これも国家の首脳としては初めてのことだったという。なんとカッコいいことか!

 

 

彼女がもっともセンセーショナルだったのは、選挙活動中に「資本主義は明白な失敗」と言い切った上で首相に当選していた点。独自のリベラルな経済政策を掲げていて、ニュージーランド中央銀行には「インフレのコントロールより、 失業率を下げることを目標にすべき」 とプレッシャーをかけている。

 

「ニュージーランドの若い夫婦が家を買えないなんてあり得ない」

と言い放ち、外国人投資家による中古住宅の購入を禁止し、転売目的の不動産投資に重い課税を課すなどして、続いていた不動産バブルを食いとめたりもしているのだ。もちろん経済界は、この施策に大反対するが、彼女は聞く耳を持たない。

 

 

彼女は、2019年7月からプラスチックのレジ袋を全面的に禁止し、違反者には最大10万NZドル(約700万円)の罰金を課すと決めた。他の使い捨てのプラスチック製品に関しても、段階的に禁止していくと宣言。

 

2019年9月の調査によると、早くも90%以上の人がエコバッグ持参で買い物をしているというからさすが。レジ袋に次いで環境負荷が大きいとされる、プラスチックストローに関しても、全国の大手スーパーや飲食店で続々と姿を消している。

 

そして、今年2019年3月にクライストチャーチで起きた、オーストラリア人過激主義者によるイスラム教徒に対しての恐ろしい無差別テロ。この国ではかつてテロなどなかったが、この大事件に対しての彼女の心ある対応が、世界中から高く支持された。

 

「They Are Us.=(イスラムの)彼らは、私たち自身です」

という言葉を何度も発し、加害者への怒りではなく、常に被害者への慈愛と共感にもとづいた行動を続けた。

 

この言葉をキーワードに、ニュージーランド人は一致団結。有志の市民たちが、各地のモスクをパトロールしたり、礼拝に向かう人たちを護衛したり、街でイスラム教徒に出会うと、市民が続々とハグをするなどの社会現象が起きたのだ。

 

 

彼女はさらに、事件発生後すぐ、テロ動画がライブ配信されたFacebookへ連絡し、強硬な姿勢で交渉して動画を削除させ、発生から24時間以内には銃規制の強化を国民に約束した。

 

この国はアメリカのような銃社会ではなく、日本と同様の狩猟免許制となっている。だがテロで、銃取得時の抜け道が発覚するや否や、テロで使われた銃の禁止を議会の承諾も得ずに宣言。後には、その銃を買い取る形で市民から回収し、破壊している。

 

思いやりあふれる調和的な姿勢と、行動力を備えたリーダーとしての解決力が高く評価され、ノーベル平和賞にとの声があがっているという。さらに、SNS悪用対策のために開催されたパリ・サミットでは、フランスのマクロン大統領からのラブコールで共同主宰者に大抜擢されている。

 

 

そして遂に彼女は、国民の幸福ため、市民の心の健康を向上させるために国家戦略を立てた。世界初となる「ウェルビーイング予算」に税金を投入すると発表したのだ。

 

資本家や富裕層、経済界や企業ではなく、あくまで弱い立場の市民と脆弱な自然環境のために行動するという、本来あるべき高貴な政治家のあり方を見せてくれるアーダーン首相を、ぼくは心底から敬愛している。

 

魅力あふれる彼女には、しなやかで寛容な「女性性」を感じるし、ぶれずに意志決定し続ける「男性性」も感じることができる。

 

結局は、どっちかだけあればいいということではなく、「女性性」と「男性性」、両方のバランスが重要だということを、ぼくは述べたいのである。ただ、これまでの社会が「男性性」優位すぎたために、世界が破綻寸前までいってしまっているから、「女性性」をもって何とかしたいというのが、ぼくの強い想いだ。

 

 

「女性の社会的地位」がもっと向上して、男性性よりも女性性が優位な社会システムが構築されることで、違いや多様性を認め合う、許し合う世の中になるのではないだろうか。本来あるべき姿の地球を守るべく、自然界に畏敬の念を抱けるようになるのではないか。

 

その結果、争いや奪い合い、環境を破壊するような行為が減っていくとぼくは願っている。

 

ぼくは決してフェミニストではない。

こういった考え方は、もちろん女性のためでもあるが、もっと言うと「人類のため」に必要だと信じている。

 

ぼくらが今よりもう少し、女性に敬意を払い、女性性が担う重要な役割をもっと尊重できたら、もっと平和で持続可能な世界に、自由で楽しい社会になるのではないだろうか。

 

この長い原稿を、ニュージーランドらしいエピソードで締めくくりたいと思う。

 

今年、ある与党議員が赤ちゃんを連れて国会に初登院した。彼が質疑応答に入った際に、国会議長が自らベビーシッターを買って出て哺乳瓶でミルクを与える場面が世界中で報道されたのだ。

 

しかも、その国会議員は同性婚で、そのベイビーは彼の友人である代理母によって授かったという。この一件に対して、野党側は批判するかと思いきや、出されたコメントが「国会に赤ちゃんがいるとは、なんて素敵なことか」だったという(笑)。

 

 

最後に、お知らせが2つ。

 

ぼくがニュージーランドで営む、 サステナブルな森の生活の中核とも言える「発酵・循環・低消費」 について書くと前号で予告しておきながら違うテーマになってしま ったこと、謝ります……ごめんなさい。次号で、 その秘伝をしっかりと公開する予定なので、 もうしばしお待ちいただけたら幸いです。


それと、もしニュージーランドのことを知りたい! という方はぜひ、ぼくの最新刊『LOVELY GREEN NEW ZEALAND 未来の国を旅するガイドブック』をご一読ください。

 

 

連載01:「2000万枚のプラスチック製品をバラまいたぼくが、森に暮らすわけ」

連載02:「オーガニック&サステナブルライフ〜自給自足への挑戦」

連載03:「なぜ、森の生活でベジタリアンになったのか」

 

PROFILE

四角大輔 Daisuke Yosumi

ニュージーランド在住の執筆家/原生林に囲まれた湖の畔でのサステナブルな自給自足の暮らし/環境省「森里川海」&Greenpeaceアンバサダー/(社)the Organic副代表理事、オシロ(株)共同代表、yoggy(株)取締役、ピースデイ・ジャパン共同代表/世界中でのオーガニックジャーニーと大自然への冒険がライフワーク/最新刊に『人生やらなくていいリスト』『LOVELY GREEN NEW ZEALAND 未来の国を旅するガイドブック』『バックパッキング登山入門』『バックパッキング登山紀行』。ベストセラーに『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと』など著書多数/レコード会社プロデューサーとして10度のミリオンヒットを創出した経験を活かしての、オーガニックやエシカルブランドへのアドバイザリー事業/オンラインサロン〈LifestyleDesign.Camp〉学長/ライフスタイルシフトメディア〈4dsk.co〉主宰/Instagram

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