【人権活動家にききました】人権を守るとは、具体的に何をすることなのですか?前編

Way of living Lifestyle Special Interview
2021.07.01

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生後100日目にして難民となる

Text & Photo / Spring Step 

Spring Step :  牧野さん、はじめまして。本日はお話を伺う機会をいただきありがとうございます。牧野さんは長年人権問題に携わっておられます。特にチベット難民問題には、深く関わって来られました。そもそもどのようにして人権問題に対して問題意識を持たれるようになったのですか?


牧野聖修さん(以下、牧野さん):  僕は満州生まれで生後100日目の時に日本が敗戦しました。僕の父は開拓団の指導者だったのですが、開拓団というのは国の保護もなく、誰にも守られることなく生きて行かなくてはならなくならなくなりました。つまり僕は生後100日目から難民だったわけです。


その当時、満州には、中国人、満州人;そしてロシア人がいて、僕と母はいつ殺されるかわからないという状況の中で逃げ回ることになり、結果的には運よく新疆へ逃げることができました。そこは日本人同士が助け合いながら暮らしていた土地で、ある日二度目に招集された親父の部隊が全滅になって逃げて来て、奇跡的に再会したのです。

当時僕は赤ん坊だったので、もちろん記憶にはありませんが、中国人にもロシア人にも殺されるかもしれない、でも自分の国にさえも助けてもらえない、という大変な思いをして、両親とリュックサック一つで日本に戻ってきたと聞いています。


それから父は静岡市内の馬渕という場所で八百屋をはじめました。その時僕はよく「あの子は引揚者の八百屋の小僧」と呼ばれていました。引揚者という立場が必ずしもよく思われていなかったこと、また当時その土地では、八百屋は立派な職業とは認められておらず、「八百屋の小僧」という呼び名の中には、今思えばすでに差別的な意味合いが込められていたかな、と感じています。

と、こんな具合に僕の人生はスタートにしたから、弱いものいじめはいけない、困っている人を助けなくてはいけないという強い思いが作られたのではないかと思います。

僕たち家族は満州から命からがら逃げてきたのだけれども、満州の人たちに助けてもらったと聞いています。日本が満州を攻めて占領してしまったのにも関わらず、です。満州の人たちは「早く日本に逃げなさい」って僕ら家族を助けてくれたそうです。

僕は、そうやって満州人の皆さんに命を助けてもらったことから、何かあったら絶対に人の役に立ちたいという強い思いが芽生えたのでしょう。そのことは今思い出しても涙が込み上げてきます。


そしてある日、父と映画館に行って映画を観ていました。当時は国際ニュース映画というのが二本立ての映画の休憩時間に上映されていました。その時まだ若きダライ・ラマ法王が、毛沢東と周恩来の間に挟まれた映像が映し出されました。それを観た親父が何気なく、「チベットの若い偉いお坊さんが、中国の人にいじめられていて、かわいそうだな。」て言ったんです。その時に大きくなったらこの人を助けてあげたいと思ったんです。


Spring Step :  それは牧野さんが何歳の時だったのですか?


牧野さん :  中学に入る前の話です。

それから25歳で市会議員に、そして県会議員、その後衆議院議員になって、これでやっと外交問題に携わることができる、とチベット問題に取り組み始めました。

当時、国会議員の中ではチベット問題に取り組んでいる人はいなくて、自分でゼロから始めようと思ったんですね。そして、たまたまモンゴルに旅行へ行った時に、ウランバートルにダライ・ラマ法王がおいでになられていたのです。僕は一日中ダライ・ラマの立ち振る舞いを観察して、なんて素晴らしい人だと思ったんです。そして、ダライ・ラマ法王の事務所が東京にあると聞いて、東京に戻ってからその事務所を訪ねて、チベット問題の解決に向けてできることをサポートしたいと伝えました。

そしてその後、1994年の12月にインドのダラムサラにあるチベット亡命政府があるダライ・ラマ法王とお会いすることになったのです。

 

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ダライ・ラマ法王から託された3つのお願い

 

牧野さん:  ダライ・ラマ法王と直接お話をする機会をいただき、僕がサポートをすることに当たって3つの願いを受けました。

 

1、日本にチベット支援の議員連盟を作って欲しい

2、リトアニアで行われるチベット支援の国際大会に日本代表として出席して欲しい

3、チベットの実情を見てきて欲しい。

特に3番に関しては、「チベット支援を一度スタートしたら、中国には二度と入れなくなるので、活動を始める前にチベットの地を踏んで見てきて欲しい、」と言われました。

 

僕は当時民主党で仲間だった枝野幸男さん、鳩山由紀夫さんらと8名で「チベット問題を考える議員連盟」を作りました。そしてその後も多くの方に声がけをして全部で40名くらいのメンバーが集まりました。ところが、その一週間後に最初の8名は以外はみんなやめてしまったんです。

 

Spring Step  :  え!それは、何があったのですか?

 

牧野さん :  中国政府からやめて欲しいと圧力をかけられたことが理由です。その後僕はチベットだけではなく、南モンゴルとウイグルの問題も取り扱うようになりました。

その後天安門事件で中国から亡命した人たちや学生たちと接触し、話し合う機会があったのです。僕が感じたことは、そもそもこの問題はそれぞれの民族の問題ではなく、中国そのものを民主化、自由化しなくては、解決しないと思ったのです。そこで僕は中国民主化支援活動をするための議員連盟を作りました。この議員連盟の活動も今日に至っても続いています。

 

人権問題とは、ものすごく幅広い分野です。人間が生きている間に幸せになるための「全ての権利」を人権と言います。極端に言えば、ワクチンを打たない人の人権をどう守る?ということまで人権の問題に関わるわけですが、僕が積極的に取り組んでいるのは、国家権力によって弾圧された人権問題です。

 

Spring Step :  牧野さんは、「困っている人を助ける」ことを実現するために政治家になられたのですか?

 

牧野さん :  そうですね。うちは貧しい八百屋でしたが、困っている人のためには一生懸命尽くしたいと子供の頃から思っていました。

 

Spring Step :  チベット支援のために具体的にどのようなことをされていますか?

 

牧野さん :  そうですね。色々ありますが、例えばこれは今では考えられないでしょうけれど、実は、最初にダライ・ラマ法王が来日された時、日本に入国するビザ取得のために奔走し、何ヶ月もかけてやっと取得できたことをよく覚えています。

 

Spring Step :  え?ダライ・ラマ法王のビザ取得に数ヶ月ですか?

 

牧野さん :  そうなんです。中国政府からストップがかかり、外務省がビザを認可してはくれませんでした。僕は市議会、県議会時代に自民党に所属していたことから、よく知っていた自民党の上層部一人一人に直接掛け合いました。その時に皆さんが「僕が手伝ったとは言わないでくれよ。」と言いながらも助けてくれたおかげでダライ・ラマ法王のビザがおりたのです。

 

でも、ノーベル平和賞を受賞したあとでさえも、日本に入国する際には、入国管理局では、「重要人物とは聞いていない」の一言で、重要人物の扱いをされることなく、観光客と同様列になって身体検査を受け、同じような順序で入国したのです。海外諸国ではどこでも重要人物扱いなのにですよ!それを当時の自民党の国会議員の実力者に報告すると「それは国として恥だ!」ということになって、それ以降はVIPとして、国として恥ずかしくないような対応ができるようになりました。

 

初めの数年は、チベットの集会への参加者は少なかったのですが、僕は議員連盟代表で挨拶したりと支えてきました。でも今では、私がいなくてもしっかりと活動できるできるようになり、世界で一番大きなチベット支援の議員連盟になりました。また、日本からも様々な形で援助の手が差し伸べらられるようになりました。

 

一方で中国政府からの圧力は継続的にありました。僕自身の選挙の際には、後援会長が「チベット支援をやめてもらえないか」と相談にきました。でも僕は「一度した約束は、男として守り通したい」と伝えると、ビジネスで中国に工場をもつ彼は、中国政府から圧力をかけられてやめざるをえなくなりました。そして、僕の周りで中国とビジネスをしている後援者たちが一人また一人と離れていき、選挙は本当に大変でした。

 

当時は東京の議員会館にも中国大使館から人が送られてきて、「あなたがやっていることは、日本の国益に反しています。」と言いにきました。牧野のせいで、中国は大変な思いをしている。と言っていましたね。

 

Spring Step :  牧野さん、命がけですね。

 

牧野さん :  菅直人さんが総理大臣だった時、2011年の5月に日中韓首脳会談が開かれ、それが終わった時、温家宝氏に直接「牧野の事は、なんとかならないでしょうか?」と聞かれたそうです。笑

菅さんは、「政府は個人的な活動に圧力をかけることはできません。彼本人の責任でやっています」と答えたそうです。僕の中国民主化運動は、少しは影響あったということかもしれません。

 

 

来週は後編に続きます。

 

PROFILE 

牧野聖修さん

一般財団法人人権財団 理事長、一般社団法人ネパール復興支援機構 監事、セイブ・チベット・ネットワーク・ジャパン代表、アジア太平洋未病医学会 常任理事、

満州国生まれ、静岡市育ち。アソカ幼稚園、静岡大学教育学部附属静岡小学校、静岡大学教育学部附属静岡中学校、静岡県立静岡高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。

家業の青果商を継いだ後、1971年、25歳で静岡市議に初当選。その後静岡県議を3期務めた。

衆議院議員(4期)、経済産業副大臣(野田内閣)、法務政務次官(羽田内閣)、衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員長を歴任。2015年に政界を引退し、一般財団法人 人権財団を設立し、理事長に就任。同年11月に旭日重光章受章。

著書「ダライ・ラマの微笑 最新チベット事情」(五十嵐文彦との共著) 蝸牛社 

 

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